昔、家に風呂がなかった。
昭和50年ぐらいは、生野の半数は風呂屋に通っていた。(ウソ)
家もその一軒である。11枚綴りの回数券で2日に一度くらいのペースで行っていた。
日本に毎日風呂に入る習慣が定着したのは、シャンプー業界の努力らしい。
小学校二年生までは、母親と一緒に風呂屋に行っていたが、同級生の女の子と遭遇して以来、父親と男風呂に入るようになった。
メリットからトニックシャンプーへの変更は、衝撃的だった!頭スースーで慣れるまでに数回かかった。
下町の風呂屋に長く通うと、いろいろな楽しみ方を発見する。
カガミをくもらなくする方法。石鹸をカガミに塗り、膜をつくる。
浴槽の縁の座れる椅子部分に石鹸を塗り込み、お尻ですべる。これがなかなか面白い。
つるつるでガンガン滑る。その時は最高に面白いが風呂上がりに尻がヒリヒリで真っ赤になっている。
ジェット泡のでる所に、シャンプーを落としたことがあった。泡風呂になった。
ちょっとの好奇心がもの凄い事件となる。全然しらんおっさんに、めちゃめちゃ怒られた
怒られながら、そのおっちゃんとお湯をかき出し泡がなくなるまで10分かかった。
風呂屋は友達たちとの遊び場だった。ニューフジバという風呂屋。サウナ、水風呂、露天風呂、充実した設備。月に一回は、笹岡とミゾンゲと一緒にニューフジバを満喫していた。
そしてフジバには、もう一つ秘密があった。水風呂が女風呂と繋がっているのである。
かなり冷たい水風呂に、水中メガネを井上(駄菓子屋)で購入し、ワクワクしてフジバに行った。チンチンが縮み上がるくらい冷たい水を我慢して、かわりべんたんで潜る。
駄菓子屋の水中メガネでは限界がある。
ミゾンゲが「今ちょっと見えた!!」と興奮して伝える。
「ほんまか!」笹岡と俺が言う。
今考えると、そんな冷たい水風呂に、若いお姉ちゃんが入るとは考えられない。
何と馬鹿な子供時代、でもそれが楽しかった。
そんな色んな思い出が詰まるフジバもなくなり、つい最近恵美須湯も閉店してしまった。
風呂上がりのスコール、フルーツジュース、10円入れてハンドル操作で出てくる味豆
沢山の思い出が詰まっていた。